当社の創業者、池田 聡は13歳から神田の包装資材店で働いており、営業の為に神田と大井町を自転車で往復する等、バイタリティ溢れる仕事をしておりました。
その後、第二次世界大戦に従軍し、戦争終結後はシベリアで抑留を受けていました。
過酷な労働環境の中で人使いの才を発揮し、班長として班員の体力等を考慮した人手の割り振りを行い、他の班には見られない効率の良い仕事をこなしたのです。
帰国後は、少年時代からお世話になっている包装資材店へ戻り、営業として仕事をしつつ、様々なノウハウを吸収していきました。
その後独立し、古新聞を買い集めて青果店へ包装紙として卸す会社として、池田商店を創業しました。
その際、自らの名前の頭文字を取って「」のマークを定めました。
株式会社 池田の歩み
1953年 11月 | 品川区南品川5丁目にて、池田商店創業。 創業者:(故)池田 聰 |
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1957年 3月 | 株式会社 池田商店として、会社設立。 |
1958年 | 式・フルーツリング考案。 それまでにない新しいタイプの供物品(フルーツリング)の販売が始まる。 当時、このフルーツリングは画期的な商品で、一躍ヒットとなる。 フルーツリングは株式会社 池田商店が発祥である。 |
1959年 | 大田区南馬込に倉庫兼社員寮を新築。 |
1961年 4月 | 南馬込の倉庫が火災。 同地では営業は不可となり、現在地の裏手(元峰島製袋株式会社所有物件)に移る。 |
1962年 | 国道に面した表部分の建物を借り、改築して店舗兼社員寮とする。 |
1965年 | 隣地を譲り受け、3階建の倉庫兼ショールームを新築。 |
1969年 | 東京都中央卸売市場蒲田分場に支店を出店。 |
1970年 3月 | 株式会社 池田に社名変更。 |
1988年 | 池田ビル竣工。 |
1989年 | 東京都中央卸売市場大田市場開場に伴い、大田市場店開業。 |
2003年 | 創業50年を迎える。 |
2004年 | 大田市場関連棟内に雑貨部を新設。 |
2011年 | 5月に戸越の店舗を閉店し、大田市場店と統合 |
現在に至る。 |
フルーツリングとは、円型の平篭に果物や缶詰等を詰合せ、周囲を造花で飾り、三脚に掛けて陳列する、果物篭と花輪を合体させた商品です。
当時の顧客はほとんどが八百屋さんか果物屋さんで、少しでも売上に貢献出来る商品をとの願いから考案、開発した商品です。
当初は理解されませんでしたが、次第に広まり、顧客拡大に繋がりました。
上記写真は、フルーツリングを店頭に飾っておけないお客様への販売ツールとして、作成したパネルです。
(通常は仏事で使用されますが、発表会等のお祝いの席でも使用出来るように、このパネルはお祝い用です。)
当時の顧客はほとんどが八百屋さんか果物屋さんで、少しでも売上に貢献出来る商品をとの願いから考案、開発した商品です。
当初は理解されませんでしたが、次第に広まり、顧客拡大に繋がりました。
上記写真は、フルーツリングを店頭に飾っておけないお客様への販売ツールとして、作成したパネルです。
(通常は仏事で使用されますが、発表会等のお祝いの席でも使用出来るように、このパネルはお祝い用です。)
「」とは?
「二国の包材屋」と呼ばれ
当社は以前品川区戸越の「国道1号線」に面した場所にありました。
「国道1号線」は品川区周辺では「第二京浜国道」の別称を持っており、地元の住民からは「二国」の愛称で呼ばれています。
当社が大きく躍進する転機となったのも現在の場所に移転してからであり、人づてにお得意様が増えていくに従い、「二国の包材屋」の愛称で呼ばれておりました。